令和8年4月14日、奈良・當麻寺「練供養」に金蔵菩薩の介添人として参加させていただきました。
宗派を超えて、祈りはひとつだった——そこで感じた日本人の信仰の原型を綴ります。
真言宗と浄土宗が共存する、珍しいお寺

當麻寺は、真言宗と浄土宗、二つの流れを併せ持つ、非常に珍しいお寺です。
ここでは、理趣経が唱えられ、南無阿弥陀仏が唱えられる。
一見すると異なるものが、違和感なく同時に存在しています。
しかしこれは特別なことではなく、本来、日本人の祈りとはこういうものだったのだと思います。
分かれているのではなく、もともと仏教という一つの中にあったもの。
その姿が、今もここには残っている。
フリー僧侶の身として、この”枠を越えた祈りの在り方”には、深い共感を覚えました。
練供養とは──極楽来迎を現世に再現する儀式

練供養は、阿弥陀如来と二十五菩薩が極楽より来迎し、人を迎え導く姿をこの現実の世界に再現する儀式です。
1300年以上の歴史を持ち、令和6年には国の重要無形民俗文化財にも指定されました。
その起源には、中将姫の伝説があります。
中将姫は苦難の末に仏道に入り、當麻曼荼羅を織り上げ、生身のまま極楽往生を遂げたと伝えられています。
「人は本当に救われるのか」という問いへの答え
「人は本当に救われるのか」という問いに対し、練供養は”実際に迎えに来る姿”を見せることで応え続けてきました。
だからこそ、この儀式は単なる伝統行事ではなく、人が死に向かう中で抱く不安に対して、確かな形を与え続けてきたものだと思います。
金蔵菩薩の介添人として感じたこと

今回、金蔵菩薩の介添人として、その構造の内側に立たせていただきました。
そこで強く実感したのは、この儀式が「死者のため」ではなく、「これから死に向かう私たち自身の安心のため」にあるということです。
1300年続いてきた理由は、信仰の形を守ったからではなく、人の根源的な問いに応え続けてきたからと感じます。
日本人が本来持っていた信仰の原型を体感して

宗派を超え、お経や念仏が重なり合うこの場に、日本人が本来持っていた信仰の原型を体感させていただきました。
この場に関わらせていただいたことに、安武さん、三浦さん、そして當麻寺、檀家様、地域の皆さまに深く感謝いたします🙏
合掌🙏











