奈良・當麻寺「練供養」金蔵菩薩の介添人として

DATE:2026.04.25

令和8年4月14日、奈良・當麻寺「練供養」に金蔵菩薩の介添人として参加させていただきました。
宗派を超えて、祈りはひとつだった——そこで感じた日本人の信仰の原型を綴ります。

真言宗と浄土宗が共存する、珍しいお寺

吉田崇伝。當麻寺

當麻寺は、真言宗と浄土宗、二つの流れを併せ持つ、非常に珍しいお寺です。
ここでは、理趣経が唱えられ、南無阿弥陀仏が唱えられる。
一見すると異なるものが、違和感なく同時に存在しています。

しかしこれは特別なことではなく、本来、日本人の祈りとはこういうものだったのだと思います。

分かれているのではなく、もともと仏教という一つの中にあったもの。
その姿が、今もここには残っている。

フリー僧侶の身として、この”枠を越えた祈りの在り方”には、深い共感を覚えました。

練供養とは──極楽来迎を現世に再現する儀式

無形民俗文化財。練供養
練供養は、阿弥陀如来と二十五菩薩が極楽より来迎し、人を迎え導く姿をこの現実の世界に再現する儀式です。

1300年以上の歴史を持ち、令和6年には国の重要無形民俗文化財にも指定されました。

その起源には、中将姫の伝説があります。

中将姫は苦難の末に仏道に入り、當麻曼荼羅を織り上げ、生身のまま極楽往生を遂げたと伝えられています。

「人は本当に救われるのか」という問いへの答え

「人は本当に救われるのか」という問いに対し、練供養は”実際に迎えに来る姿”を見せることで応え続けてきました。
だからこそ、この儀式は単なる伝統行事ではなく、人が死に向かう中で抱く不安に対して、確かな形を与え続けてきたものだと思います。

金蔵菩薩の介添人として感じたこと

當麻寺。練供養
今回、金蔵菩薩の介添人として、その構造の内側に立たせていただきました。
そこで強く実感したのは、この儀式が「死者のため」ではなく、「これから死に向かう私たち自身の安心のため」にあるということです。

1300年続いてきた理由は、信仰の形を守ったからではなく、人の根源的な問いに応え続けてきたからと感じます。

日本人が本来持っていた信仰の原型を体感して

練供養。當麻寺。
宗派を超え、お経や念仏が重なり合うこの場に、日本人が本来持っていた信仰の原型を体感させていただきました。

この場に関わらせていただいたことに、安武さん、三浦さん、そして當麻寺、檀家様、地域の皆さまに深く感謝いたします🙏

合掌🙏

吉田崇伝

About 吉田崇

フリー僧侶(真言宗 得度:法名:崇伝 すうでん)/ 経営者、経営コンサルタント、運命学 講師/ 崇吉塾 塾長/吉田易選 代表/易選流協会 易選士 みんなの森整骨院グループ 主宰/ (株)吉田企画 代表取締役/ (一社)交通事故医療情報協会 代表理事会長/ (一社)易伝 理事/ 【著書】5冊。累計4.5万部発行。『最新版 儲かる!治療院経営のすべて』『自分でできる治療院選び』『学校では教えない 儲かる治療院のつくり方』『はじめよう!リラクゼーションサロン』『儲かる!治療院経営のすべて』/ 吉田崇公式プロフィールhttps://www.r358.com/profile.html
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