「キツかった。」
石鎚山から無事に下りて、最初に出てきたのはその言葉でした。
2026年8月9日。
標高1,982m、西日本最高峰の石鎚山。
その一峰・弥山(1,974m)に鎮座する石鎚神社頂上社まで登拝しました。

崇吉塾「道」、座学から実践講座へ
今回は、崇吉塾「道」の座学を取りやめ、頂上社への登拝そのものを実践講座としました。
同行した講座生は二人。
二人とも四国を訪れるのは初めてで、そのうち一人は、登山そのものが初めてでした。
ロープウェイを降り、中宮成就社を経て弥山へ。
登りながら感じていたのは、神秘的なことばかりではありません。
「キツい」から見えてきたもの
普通にキツい。
本当にキツい。
登っても登っても、まだ先がある。
ここ数年、身体を鍛えていなかったら、かなり厳しかったと思います。
そして、だからこそ感じたことがありました。
私は、こういう「行」が嫌いではない。
むしろ、自分には合っている。
フリー僧侶という在り方の、もう一つの意味
真言宗で得度し、僧侶になりましたが、私は特定の寺院の住職ではありません。
これまでは、それを単純に「フリー僧侶」と表現してきました。
でも石鎚山を歩きながら、その意味が少し変わりました。
フリー僧侶とは、寺がない僧侶ということではない。
行場を一つに固定せず、各地を歩き、自分の身体で確かめながら学んでいく僧侶。
自分には、そんな在り方の方が合っているのかもしれません。
修験道の開祖とされる役行者は、各地の山岳を行場として修行したと伝えられています。
空海もまた、各地を歩いた人でした。
もちろん、私が同じことをしているなどと言うつもりはありません。
ただ、なぜ彼らは山へ入ったのか。
なぜ一箇所に留まらず歩いたのか。
それは、実際に自分で山へ入ってみなければ分からないことがあるのだと思います。
目標は登頂ではなく、無事な下山
今回、目指したのは、ただ頂上に立つことではありませんでした。
一人は初めての登山です。
二人を無事に山から下ろすこと。
それが、この日の一番大切な目標でした。
だから弥山の頂上社に着いたときも、達成感以上に安堵の方が大きかった。
もちろん、そこから見える景色は素晴らしかった。
自分の足でここまで来たという身体の記憶も残っています。
しかし、山は登ったら終わりではありません。
下りなければならない。
そして全員が無事に下山して初めて、この日の「行」が終わる。
本当の達成は、下山を終えた瞬間にありました。
滑川渓谷 ―― 意味づけない時間
翌8月10日は、滑川渓谷へ。
ここは石鎚山とは、まったく違いました。
巨大な一枚岩の上を水が流れ、その中を歩いていく。
水。
岩。
木々。
音。
空気。

何かを理解しようとする必要がない。
ただ、その場所にいる。
それだけでいい。
ここでは、無理に意味をつけたくありません。
ただ一つ確かなのは、「また来たい」と身体が感じたことです。
石鎚山では、自分から山へ向かい、登り続けなければ頂上には辿り着けなかった。
滑川渓谷では、自分が何かをするというよりも、その自然の中に身を置いていた。
同じ愛媛で、まったく違う二つの体験でした。
山と現場を往復する
そして今回、もう一つ分かったことがあります。
私は山に籠もりたいわけではありません。
山だけを歩いていたいわけでもない。
経営の現場があります。
人や組織と向き合う仕事があります。
崇吉塾「道」で伝えていく場もあります。
だから私にとっての行脚は、山へ行って終わりではない。
山へ入り、自分の身体で経験し、また里へ下りる。
そこで得たものを、経営や人生の判断、人を育てる現場へ持ち帰る。
そして、また山へ向かう。
山と現場を往復する。
それが今の自分には、一番しっくりきます。
石鎚山での登拝が、自分にとって何だったのか。
滑川渓谷で、なぜあれほど心地よさを感じたのか。
まだ、全部を言葉にする必要はないと思っています。

ただ、石鎚山で身体に刻まれたことがあります。
「キツかった。」
それでも三人で登り、三人で無事に下りてきた。
頂上に立ったこと以上に、全員で無事に還ってこられたこと。
今は、そのことに安堵しています。
そしてまた、山で得たものを持って、自分の現場へ戻ります。
南無大師遍照金剛











